時の女神が宿る場所。
そこは、内側に息づく私を、愛おしく想う時の中に、在る。
人生は儚く、そして短い。
今この瞬間にも地球上のどこかで、
ひとつの人生が始まり、ひとつの人生は終わりを迎える。
細胞は、絶え間なく動き続け、変化をくりかえすものだ。
生と死のあいだに ”たゆたう” 時の流れ。
ためらうことのくり返しの日常に、
わたしが生きたと実感できる場所は、どこにあるのだろう。
鏡に映る”わたし”。
時間に追われ、日々のルーティンに追われ、生きている実感も持てずに、
ただ動いているだけのわたし。
まるで、鏡の中のわたしは誰かにつくられた虚像のようで。
白い彫刻のような無機質な笑みが、”私”を吸い取ってくる。
「この人は誰?」 「こんなの、私じゃない」
鏡の中の”わたし”に向かって、叫びたくなる。
いつのまに私は、わたしという存在の手を放してしまったのだろう?
いったいどこで、私はわたしを見失ってしまったのだろう?
鏡の中に、私はいない。
私は、いない。
私は、今この瞬間の中にすら存在していない。
時の流れのなかに、私はいないんだ。
こんな自分をみたくない。そう思っても、成す術さえわからない。
だって私は、すべてを”他人のせい”にしてきたのだから。
誰かの顔色を見て、誰かの言葉に従い、誰かに振り回されて、
時間だけが過ぎ、空しさだけを嚙みしめて過ごしてきた。
そんな私に、笑顔など宿るわけがない。
人生は儚く、そして短い。
鏡のなかの、生きてはいない”わたし”が言ってくる。
こんな自分を見たくない。泣くことすらできない。
感じようとする力を放棄し、考えるという行為を拒否し、すべてを他人にまかせてしまった自分。私の命は、手からこぼれ落ちる砂のように、流れてしまう。
「どうしたらいい?
どうしたら、私は”わたし”を取り戻すことができるの?」
鏡のなかのわたしに、最期の力を振り絞って語りかけてみる。
鏡は言う、
「自分の顔を、、あなたの顔を、その手で、生きている今のあなたの指先で触れてごらん?」
私は蛇口をひねる。冷たい水が、私の手のひらを、指先を濡らす。
水音が私の脳裏で響きだし、私は自分の顔にそっと手を触れる。
頬、眉、唇、鼻筋….
目を瞑って。 私は生まれて初めて自分のこの顔と肉体を、自分のものとして感じだす。
頬の温もり、眉の凛々しさ、唇のふくらみ…
私は、わたしであることを指先から感じ出そうと動きだす。
次第に、私の顔は心の奥から溢れ出る清らかな涙に洗われていく。
涙が、私の頬とわたしの手のひらを、混じり合わせてゆくのだ。
どれだけ私は、わたしを大切にしていなかったの?
どれだけ私は、わたしを愛していなかったの?
私が最も認めて欲しい人、
それは、私の中にいる”わたし”だったんじゃないの?
---本当に今、生きている者だけが持つ力。
それは、笑顔のなかに現れる。
自分に満足し、充実し、解放された心。それが、私を愛する心---
鏡のなかのわたしは、心から湧き出る感情を出せるだけ出してしまった後、
時の大切さを身に染みて思うのだ。
「私はわたしの中にしか、息づく場所はないのだ…」 と。
私がわたしを愛せる場所にしか、生きている時間は留まってはくれない。
溢れ出る生命力の中にしか、笑顔は産まれない。
鏡の中のわたしを真っ直ぐに抱きしめられた今、
時の神が笑う。
ようやく時の神が滞在できる場所ができたことを喜んでくださる。
愛が留まる場所だけに、時の神は宿る。
時の神が住まわれた場所だけに、笑顔は宿る。
わたしが私である場所だけに、幸せは宿る。
そして、幸せがあふれる場所だけに、
美が、、、生まれるのだ。
Writing by Lady Pow
1コメント
男性、女性に関わらず一個人として自分と向き合う時間を持ちたいと思うような気持ちになりました。
時間は誰にも平等だからその時間を大切にしたい。